2013年6月14日金曜日

「素地の良い家」は、清々しい。



自宅を建てるにあたり、建築士にはこんなお願いをしていた。

自分はモダンで合理的な空間が好きだが、仏壇と神棚を置く必要がある。
特定の様式や世界観に縛られるのは疲れるし、何しろイームズの椅子でパスタも納豆ご飯も食べる。そんな風に何でもありの無思想な生活には「素地の良い家」が良いと思うから、そんな感じでよろしく、と。

「モダンな家」=フラットで真っ白な壁に黒タイルの床、そしてガラスとステンレスやアルミの組み合わせ。「ナチュラル・カントリーの家」=パイン材。というように固定観念に縛られた家はとても我慢できない。
またはアンティークの調度品を好むばかり、新築なのにアンティーク調に仕立てるのもどうかしていると思う。

「たんなる見栄えのために、作為的なこと、わざとらしいことはしないし、お化粧はしない。精神の形がそのまま建築に表れればよい」

建築家の中村好文さんは、住まいのあり方をそんな風に言っている。
彼が言うように「雰囲気の建築」や「お化粧の建築」でなく、機能や合理性に裏打ちされた建築こそが私が望んだ「素地の良い家」なのである。

こだわったわけではないが、出来上がった家は自然素材による家になった。
合板は一切使わず、構造材から仕上げ材まで木材はすべて無垢の杉、ヒノキ、タモなど。居室の壁は漆喰で、トイレ、洗面所の壁紙もドイツ製の自然素材のものだ。断熱材も塗料も自然素材で、(お風呂以外の)見えるところはもちろん見えないところにも塩ビや化学物質は見当たらない。繰り返すが無垢の木材や自然素材にこだわったわけではない。

こんな家に住むと、ナチュラル志向であれこれ口うるさい人と思われがちだが、実際はCO2をバンバン吐出す俗人だ。結果として“自然素材によるこだわりの家”になったのは、使う材料や仕上げでAとBのどっちが「素地の良い家」にふさわしいかを選んだらこうなっただけである。

プリント化粧板と無垢の板のどっちが気持ち良いか?
漆喰壁と塩ビクロスはどっちが良いか?
エアコンと薪ストーブならどっち?

そんな選択の果てがこの家になった。
自邸自慢になるのは嫌なので冷めた見方をすると、アミダ式で考えてできた家なのである。

もちろんすべての面で好きなものだけを選べたわけではない。当然予算もある。
それでもこれだけの家にできたのは、こちらのわがままに付き合ってくれた親方をはじめ作り手たちがいてくれたおかげだ。

モノづくりに対する熱中度合いにおいて、私もそこそこのアホだが、彼らもかなりアホだと思う。
こっちが望んでもいないのに、こっちの方がカッコいいからと手間や儲けはそっちのけで仕入れたり、専門外なのに夜中まで床のオイル仕上げを手伝ってくれたりするのだ。

内外の塗装作業を自分でやることにしたのは少しでも費用を抑えるためだが、お金のためよりいつしか塗装作業が楽しくなり、目の前の家を仕上げることが目的になっていた。その場合の私は、施主でも依頼主でもなく作り手のひとりになれたと思う。

家を建てよう、と決めてから約1年9ヶ月。
竣工して感じたのは、自分の家ができた感動より、多くの人と一緒に関わった家が完成した感動だった。

家のカタチや仕上げを念頭に「素地が良い家」を追求してきたが、つくる過程で味わったのは、清々しさだった。

じっくりしつこくあきらめずに考え抜いた家は、見た目以上の価値を身につけるのかもしれない。