2013年7月25日木曜日

ぼくらの川を



むかし、通った小学校では、毎日『帰りの放送』がありました。
要は、いつまでも遊んでないで家に帰りなさい、という呼びかけ。
私はその放送をほぼ毎日聞いていました。つまりギリギリまで学校で遊んでいた口です。

『寄り道をせず、まっすぐおうちへ帰りましょう』

放送の最後はそう呼びかけますが、それに対しては決まってこう反応します。

「まっすぐかえったら、川さおぢるもんね〜〜!」

どういうことかというと、小学校は川沿いにあり、校門を出て自宅の方向へまっすぐ進むと
川に突き当たるので、まっすぐ進むと川に落ちてしまうという、小学生ならではのカワイイ反論なわけです。

いまどきそんな反応をする小学生がいるのかは不明ですが、学校は変わらず川沿いにあるので、まっすぐ進むと川に突き当たるのは変わりません。

ところが今まさに、母校周辺はそんなカワイイ反論もありえなく変わろうとしています。

言うまでもなく、北上川沿いは地盤沈下と津波ですさまじい被害を受けました。
住吉公園の雄島と下流の堤防沿いはいまも荒れ果てたまま。
その下流沿いの護岸工事がいよいよ本格的に着工を始めました。

小学校のすぐ脇を巨大な礎石を積んだダンプが行き交い、振動と騒音、そして水しぶきをあげ川に投げ込まれています。

計画では旧北上川沿いに設けられる防潮堤の高さは、4m超〜7m超だとか。
私の母校の川沿いでは4m超の防潮堤がつくられます。

もう、校門を出てまっすぐ進んでも川に落ちることはありません。
それと引き換えに、夕凪の川面に映るあかね雲の美しさや、
しゃばしゃばと威嚇するように波音を立て荒れる怖さや、
底冷えする冬の夜の鏡面のような静寂を感じることはできなくなります。

私と同じ小学校に通った者だけでなく、石巻は、川に育まれてきた町です。
その町と人から、川が引き離されようとしています。

津波や水害への備えというには、あまりに短絡的な工事と思うのは私だけか。
川を身近に感じ、その怖さを知ればこそそれぞれが備えもできるはず、と考えるのは合理的ではないのか。

いま、ぼくらの川が変わってゆくのを前にできることは、これまでを忘れないようにすることだけなのでしょうか。

ぼくらの川を・・・守るのか、治すのか、つくり変えるのか。
私たちは川に育てられてきたのに、そのこれからを決めることができません。








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